おかゆとチャーハン
はねまわる子どもたちが半そで。砂場の砂が、掘り起こしたそばからさらさらに乾いていく陽気。あと半月あるむすめとの春休みを持てあまして、公園をはしごする。
ときどき赤だしのみそ汁が飲みたくなって、インスタントのものを買う、そうするとほかのものも一層手抜きしたくなって、あるものだけで済まそうと思う、そうしておかゆとチャーハンというへんてこな献立になるのであった。
(カレーチャーハン、青菜と卵のおかゆ、大根の煮物、赤だし)
きのう、肩のうえでぱつんと切りそろえてもらったむすめの髪が、砂場で、ブランコの揺れで、部屋のなかでうつむいてるときですらーつやつやひかって愛らしい。「うんとみじかく」した前髪のしたでは眉毛がいそがしそうに上下するし、ほんとうに面白い。
この世にはいろんな人がいるよね、って話をしていて、あなたのパパとママはどんな人?と聞いたところ、「たいせつなひと」。心臓をまるくくりぬいて、そっくり洗ってはめこんでもらったような気持になる。ちなみにじいじとばあばは「みんなをたいせつにするひと」だそうで、その言葉を評価することばを、わたしは持ち合わせていないほど。
鰈の煮付け
都内へ来て半月、吉野桜は散り散り、こんどはぽってりした八重桜が満開。夫が買ってくれた重たい自転車(電源がついていて、走行を手助けしてくれる、うしろにむすめの席がついていてー)、をふらふら繰りながらあたらしい道をためしてすごしている。
平日、昼間の映画館はむすめと貸切状態で(プリキュアミラクルユニバース)、映画が終わって場内のあかりの点いた瞬間の、あのぼうっとした非現実感。
東京はどこまでも続いていて(わたしは東京都に住むのははじめてなのだ)、夥しい店舗、人、教育や行政機関、マンション、ビル、ビル、ビル、あちこちに駅。生活だらけの道路。
きょうははじめていくスーパーマーケットで黒鰈を買ったのでそれを煮付けました。
きのう煮ておいた大根と、納豆、みそ汁はキャベツと揚げ、漬物は柴漬。
子持鰈はすこし硬くなるくらい煮るのが好きなので、煮汁をもっと薄めに仕立てるべきでした。煮詰まってしまって、すこし甘すぎた。